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東京高等裁判所 昭和25年(ネ)458号 判決

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人が昭和二十四年七月五日新潟市姥ケ山字居村上前六百三十三番地の一宅地九十六坪並びに同地上の木造茅葺(一部瓦葺)家屋一棟建坪四十三坪につきなした控訴人の訴願棄却の裁決を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、(一)訴訟被承継人浅井邦次は昭和二十五年七月八日死亡し、控訴人を除くその他の相続人等はいずれもその相続を放棄したので、結局控訴人が右浅井邦次の相続をなしたものである。(二)いわゆる附帯買収の対象となり得る宅地または建物は、買収農地に附随し、主としてその農地の用に供されることが必要であつて、生活の本拠として使用されている建物またはその敷地たる宅地はたとえそれが部分的には農業の用に供されることがあつても、これに含まれない趣旨と解すべきところ、本件建物はその位置、環境乃至構造からみて、生活の本拠としての用途が主要なものであつて、直接買収農地の農耕経営に利用されることはなく、かつ本件宅地は右建物の敷地として使用されているものであり、しかも買収農地は本件宅地建物から約二十四丁を距つた場所にあつてその距離の関係からみても右宅地建物は買収農地の農業経営の用に供する上において必要なものとは解されない。従つて本件宅地建物は、自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号に基いて買収することは違法である。(三)浅井敬吾家の生計は、原判決事実摘示の如く、主として農業以外の職業に基く所得によつて立てられているものであつて、昭和二十三年度についてみるも農業所得は年額四万四千五百五十八円なるに対しその他の職業による所得は年額十万六千五百七十一円二十銭であり、昭和二十四年度は農業所得が年額七万七千五百円と推定されるに対し、その他の職業による所得は年額八万四千百八十七円六十銭であり、また昭和二十五年度の農業所得が年額六万五千二百円と推定されるに対し、その他の職業による所得は年額二十九万一千五百二十九円六十銭に達するものである。しかも農業所得とその以外の職業による所得との比較衡量は、単に買収計画樹立当時のみを基準とすべきでなく、その後弁論終結に至るまでの間における状態をも標準として勘案さるべきものであるから、結局本件においては、浅井敬吾及びその家人による農業以外の職業に基く所得は遙かに農業所得を上廻つていることとなり、この点からみるも本件買収計画は失当である。(四)本件宅地建物は控訴人先代の生存中よりその次男邦衛に独立の生計を立てさせこれに居住せしめる必要があつたので昭和二十三年三月の期間満了を以てその貸借関係を終了せしむべく交渉していたものであつて、控訴人としてもその必要性には変りはない、従つて本件宅地建物は所有者において近く自ら使用することを相当とするものであるから、これが買収は許るされないものである、と述べ、被控訴代理人において、(一)控訴人主張の前記(一)の相続に関する事実は認めるが、浅井敬吾家の農業以外の職業による所得が農業による所得を上廻つていること並びに本件宅地建物を所有者において近く自ら使用するのが相当であるとのことは争う、と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。(証拠省略)

三、理  由

新潟市石山地区農地委員会は、訴外浅井敬吾が昭和二十三年一月九日同委員会に対してなした買収申請に基き、昭和二十四年二月十一日、当時控訴人先代浅井邦次の所有にかゝる新潟市姥ケ山字居村上前六百三十三番の一宅地九十六坪並びに同地上の木造茅葺(一部瓦葺)家屋一棟建坪四十三坪につき自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号により買収計画を定め、その公告をなしたので、控訴人先代邦次は同月二十日右委員会に対して異議を申立てたが、同年三月二十五日却下されたから、更に同月三十一日被控訴人に対し訴願をなしたところ、これもまた同年七月五日に棄却されて、同月七日その裁決書の謄本の交付を受けた事実並びに控訴人先代邦次は昭和二十五年七月八日死亡し、控訴人を除くその他の相続人等はいずれもその相続を放棄したので、結局控訴人が控訴人先代邦次の相続をなした事実は本件当事者間に争いがない。

控訴人は、本件買収計画樹立当時、前記浅井敬吾は本件宅地並びに家屋につき賃借権若くは使用貸借による権利を有していなかつたから、右浅井敬吾の申請に基いて定めた本件買収計画は違法であると主張するのでこれを検討する。

控訴人先代邦次が昭和十五年三月二十四日浅井敬吾に対し前記家屋を賃貸した事実は、本件当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第三号証、原審証人浅井敬吾、当審証人阿部有一、遠山直次、浅井景次、浅井敬吾、小林正平の各証言並びに原審における浅井邦次の原告として本人訊問の結果(但し後記認定に牴触する部分は採用しない)を綜合すると、浅井敬吾が控訴人先代から借受けたのは前記家屋のみにとどまらないで、同時に右家屋とともに本件宅地を含む同地番の宅地百坪余をも併せて、賃料を一ケ月金九円、期間を昭和十七年三月末日までと定めて、控訴人先代から賃借したものであり、しかも右家屋の賃貸借が継続する限り、宅地の賃貸借も同じく存続するという趣旨であつたが、その後右宅地並びに家屋の賃貸借は期間満了と同時に二ケ年づつ順次更新されてきた事実を認めることができる。右認定に反する原審における証人小林正平の証言及び原告本人としての浅井邦次の供述は措信し難い。控訴人は、本件宅地の内東南隅四坪余の部分を浅井敬吾に無償にて貸渡したに過ぎず、その余の宅地は賃貸借若くは使用貸借の目的となつていないものであると主張するけれども、前示認定を覆し、右控訴人の主張事実を認めるに足る証拠はない。

しかるところ、原審並びに当審証人小林正平の証言、原審における原告本人としての浅井邦次の供述及び同供述によつて成立を認め得る甲第四号証の一、二を綜合すれば、控訴人先代は次男邦衛に独立の生計を立てさせるため同人に本件宅地並びに家屋を贈与してこれに居住せしめる必要があつたので、昭和二十二年六月十七日頃訴外小林正平を介して口頭にて浅井敬吾に対し前示家屋の賃貸借につき更新拒絶の通告をなし、更に昭和二十三年三月末日の期間満了後その使用の継続について同年四月十日頃控訴人先代自ら浅井敬吾に対し異議を述べた事実を認めることができる。

しかしながら控訴人先代のなした前示更新拒絶に正当の事由があるかどうかについて考えるに、原審並びに当審証人浅井敬吾、小林正平、当審証人浅井景次、阿部武太の各証言、原審における原告本人としての浅井邦次の供述を綜合すると、控訴人先代の父力蔵は昭和十二年十一月十五日浅井敬吾から、当時同人の居住していた新潟市姥ケ山字与衛門屋敷六百八十一番地所在の家屋並びに宅地畑等を買受けたが、その後は浅井敬吾において引続き同家屋に居住していたところ、右浅井力蔵の死亡とともに、控訴人先代は右家屋に移住することゝなり、その代りに他に住居のない浅井敬吾のために、従来控訴人先代の居住していた本件家屋を同人に賃貸するに至つた。爾来浅井敬吾は同家屋を生活の本拠として農耕を営み、家族七名とともにこれに居住しているものである。これに対して控訴人家は家族約十名を擁し建坪約四十坪の前記家屋に居住している事実を認めることができる。右認定を左右するに足る証拠はない。しからば、前段において認定した当事者双方が本件家屋に対して有する利益を比較衡量して考えると、他に特段の事情の認め得ない本件においては、控訴人先代の次男に独立の生計をなさしめるため同人に本件家屋を贈与してこれに居住せしめる必要があるという控訴人主張の事由の如きは、未だ以て本件賃貸借の更新を拒絶するに足る正当の事由となすことはできない。

従つて控訴人先代のなした前記更新拒絶の通告はその効力を生ずるに由ないから、本件買収計画樹立当時本件家屋の賃貸借は依然として有効に存続していたものといわなければならない。しからば前述の如く、本件賃貸借契約においては、右家屋の賃貸借が継続する限り、前記宅地の賃貸借も引続き存続するという約旨であつたものであるから、叙上説述の如く、右家屋の賃貸借が依然として継続している以上、本件宅地の賃貸借もまた有効に存続していると認むべきである。

されば本件買収計画の樹立当時において、浅井敬吾は本件宅地並びに家屋につき賃借権を有していたものといわなければならない。

控訴人は、いわゆる附帯買収の対象となり得る宅地または建物は、買収農地に附随し、主としてその農地の用に供されていることが必要であつて、本件の如く生活の本拠として使用されている建物またはその敷地たる宅地は、たとえそれが部分的には農業の用に供されることがあつても、これに含まれない趣旨と解すべきであるから、本件宅地建物は、自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号に基いて、買収することは許されないと主張する。

しかし前記自創法第十五条第一項第二号による宅地建物の買収をなし得るためには、当該宅地建物が自作農となるべき者の耕作の業務に利用され得ること、即ち買収農地の農業経営に必要であることを要するにとどまり、進んで控訴人所論の如く、買収の対象となる宅地建物が買収農地に附随し、主としてその農地の用に供されているといういわゆる従属性をまで備えていることは要しないものと解するのが妥当である。

よつて本件宅地建物の附帯買収が叙上の趣旨においてその要件を具備するかどうかについて、次に審究する。

(一)  前記宅地及び建物の利用状況については、原審並びに当審における検証の結果を辯論の全趣旨に照し合せて考えると、本件宅地及び建物は、新潟市の郊外、即ち同市南端の農村地帯に位し、姥ケ山部落を東西に走る県道の南側にあり、右宅地九十六坪はほぼ方形をなし、また右家屋は県道に面し右宅地の内、北部に建てられた木造茅葺(一部瓦葺)建坪四十三坪の建物であるが、同宅地の内、家屋の敷地となつている部分を除く南方約五十坪の部分には、(イ)その東南隅に木造瓦葺納屋建坪約四坪及び便所があつて、納屋の一部は藁の置場として使用せられ、また(ロ)その余の空地には藁鳰二ケ、薪鳰一ケ、直径四尺の肥料桶一ケ等が所狹く置かれてその空地一杯に利用されており、更に右建物の内、(イ)東南隅に位する間口二間三尺奥行四間の土間は、農業用器具等の格納に供される置場及び農事作業場として使用せられ、(ロ)県道に面する約三坪の土間は自転車修理場として用いられており、(ハ)その余の部分は浅井敬吾及びその家族の住居として使用されている状況が認められるから、右宅地建物の利用状態から考えると、少くとも、本件建物の内、間口二間三尺奥行四間の前記土間及び本件宅地の内、右家屋の敷地となつている部分を除くその余の土地は、いずれも自作農となるべき浅井敬吾の農業経営上直接に必要なものと認めなければならない。もつとも前述の如く、右建物の相当部分は浅井敬吾及びその家人が住居として使用しているものであり、また右宅地の大半も前記家屋の敷地に供されているものであるが、右に述べた家屋の構造並びに土地の状況からみて、これを農業経営上必要なものと、然らざるものとに分離して、その措置を考えることは著しく当を失するものというべく、しかも前述の利用状況からみて、本件宅地建物が専ら農業経営以外の用途に供されていると断定することは妥当でないから、右宅地及び建物は一括して、浅井敬吾の農業経営に必要なものとして利用されていると解するのが相当である。

(二)  本件買収計画樹立当時、浅井敬吾は田六反五畝二十五歩及び畑一畝十一歩を耕作しており、その内、田二反九畝二十歩がいわゆる買収農地であることは、当事者間に争いがない。しかして弁論の全趣旨に徴すれば、浅井敬吾は本件宅地建物を専ら右買収農地の耕作の業務にのみ利用しているわけではなく、該買収農地を含むすべての耕作田畑について、その農業経営に必要であるとして、これを使用していることが明かである。しかしながら苟くも、本件宅地建物が右買収農地の農業経営上必要であるとして使用されている以上、買収農地が他の耕作農地に比し著しく零細なものでない限り、たとえ右宅地建物が買収農地以外の農地の耕作業務にも併せ利用されたとしても、これを以て買収の対象となる宅地建物と買収農地との農業経営上の関連性を否定することはできないものと解すべきである。

(三)  更に当審における検証の結果並びに弁論の全趣旨に徴すれば、本件宅地建物は買収農地と約十町の距離があつて、両地間における肥料その他収穫物の運搬は、通常水路によつて行われ、その所要時間は約二十五分であることが認められる。当審証人佐々木健一の証言によつて成立を認め得る甲第七号証の記載内容はにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかしながら買収される宅地建物は農業経営に必要であるものであれば足りるのであつて、必ずしも買収農地に密接している必要はなく、また両地間における交通輸送の便不便は問うところではないと解すべきであるから、前述の如き本件宅地建物と買収農地との距離若しくは両地間における交通輸送状態の如何は、未だ以て本件買収を非難すべき資料となすに足りない。

以上説明したところによると、本件宅地及び建物は自作農となるべき浅井敬吾が買収農地の農業経営に必要なものというべきであるから、右浅井敬吾の申請に基いて定められた本件買収計画は、この点において控訴人主張の如き違法性は存しないものとする。

次に控訴人は、右浅井敬吾の一家の生計は主として農業以外の職業による所得によつて立てられていたのであるから、同人の買収申請は不相当であるに拘らず、これを相当と認めて樹立された本件買収計画は違法であると主張するから、この点について検討を加える。

(一)  本件買収計画樹立当時、浅井敬吾家では買収農地を含めて田六反五畝二十五歩及び畑一畝十一歩を耕作していたことは、当事者間に争いなく、原審証人小林正平、遠山直次、浅井敬吾、当審証人浅井景次、浅井敬吾の各証言を綜合すれば、浅井敬吾家では主として同人の妻、その娘及び長男景次の妻が耕作を営み、農繁期には浅井敬吾及び長男景次もこれを手伝つていることが認められる。控訴人は、前述の如く農地の耕作は浅井敬吾の家族がこれに当り、同人は専ら自転車修理業を営みその収益が生計の資に供されていると主張し、同人が当時より自転車修理業を営んでいることは被控訴人の認めるところであるが、成立に争いのない乙第六号証、同第十二号証、原審証人小林正平、伊藤昌作、浅井敬吾、当審証人阿部有一、浅井景次、浅井敬吾の各証言、原審並びに当審における検証の結果を弁論の全趣旨に照し合せて考えると、浅井敬吾は健康が勝れないので、前述の如く農地の耕作は主としてその家人によつて営まれ、同人は農繁期にその手伝いをしている状態であつて、同人は前記家屋に約三坪の仕事場を設けて自転車の修理業を営んできたが、通りがかりの客が修理を依頼する程度にて営業は余り振わず、その収益も少なく、いわば副業として営まれているのに過ぎない有様であつて、その収益は一ケ年約一万円に過ぎないから、自転車修理業による収益は固より一家の生計を支える主たる所得となつているのでないことが窺われる。右認定を覆すに足る確証はない。

(二)  次に本件買収計画樹立当時、浅井敬吾の長男景次が北越製紙株式会社新潟工場に勤務して収入を得ていたことは当事者間に争いなく、当裁判所において真正に成立したと認める甲第八号証、当審証人浅井景次の証言によつて成立を認め得る甲第九号証並びに同証人の証言を綜合すると、浅井景次の実収入(いわゆる手取賃金)は、昭和二十三年度が一ケ年合計金二万四千五百七十一円二十銭、昭和二十四年度が一ケ年合計金七万二百五十七円六十銭、昭和二十五年一月より同年十月までの十ケ月分が合計金十一万六千七百四十二円に達し、その収入の大部分を一家の生計に入れていたことが認められる。右認定を左右するに足る確証はない。しかして、次男健吉が曽て渡辺三四治運送店に雇われていたことは被控訴人の認めるところであるが、当審証人渡辺三四治の証言並びに全証言によつて成立を認め得る甲第六号証の一、二によれば、浅井健吉が右渡辺三四治方に雇われていたのは、昭和二十一年八月頃から昭和二十三年八月頃までであつて、その間昭和二十二年十二月当時は一ケ月約金二千円、昭和二十三年八月当時は一ケ月約金六千円の収入を得ていたことは認められる。しかし本件買収計画の樹立された昭和二十四年二月十一日当時においては、浅井健吉は既に右渡辺三四治方を退いていたのであるから、当審証人浅井景次の証言によつて明かな如く、右浅井健吉がその後他の工場に雇われたとしても、前示渡辺三四治方における賃金を以て、その後の収入を推定することはできないばかりでなく、控訴人の全立証によるも、右買収計画樹立当時における浅井健吉の収入を算定することは不可能である。

(三)  しかるところ成立に争いのない甲第十一号証、乙第六号証、同第十二号証を綜合すると、浅井敬吾の農業による所得は、昭和二十三年度において金五万五百五十八円、昭和二十四年度は金七万七千五百円、昭和二十五年度には金六万五千二百円であることが認められる。右認定を覆するに足る確証はない。

前段各認定の事実に基いて考えると、本件買収計画の樹立された昭和二十四年二月十一日当時における浅井敬吾の農業所得は、同人の自転車修理業による収益及び長男景次の賃金収入を合算したものを遙かに上廻つていることが明かであつて、この事実を原審並びに当審証人浅井敬吾、当審証人浅井景次の各証言に併せ考えると、右買収計画樹立当時においては、浅井敬吾家の主たる所得は農業によつて得られていたものと認めるのが相当である。

控訴人は浅井敬吾家の主たる所得の何であるかを判定するに当り、その農業所得と他の職業による所得とを比較衡量するについては、単に買収計画樹立当時のみを基準とすることなく、その後弁論終結に至るまでの間における状態をも標準として勘案さるべきものであると主張し、昭和二十五年度に至つては、農業以外の職業による所得は農業所得を遙かに上廻つていることは前段認定の事実によつて明かであるが、買収計画の当否を判断するに当つては、その当時における諸般の状態を基準として、その要件を具備するものなりや否やを判定すべきものであつて、その後弁論終結に至るまでの間に生じた各種状況の変動を参酌して勘案すべきものではないと解するのが相当であるから、控訴人の所論は採用することができない。

従つて浅井敬吾の一家の生計が主として農業以外の職業に基く所得によつて立てられているものとなし以て本件買収計画を攻撃せんとする控訴人の主張は失当であるから、これを是認することはできない。

更に控訴人は、本件宅地建物が所有者において近く自ら使用することを相当とするものであると主張するけれども、控訴人所論の如き事情は未だ以て右にいわゆる相当なる事由と解するに難く、その他控訴人の全立証によるも、所有者が近く自ら使用することを相当とすべき事情を発見することはできない。

しからば本件買収計画には控訴人所論の如き違法はないから、右買収計画を支持して、控訴人の訴願を棄却した本件裁決は正当である。従つてこれが取消を求める控訴人の本訴請求は失当であるから、該請求を排斥した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺葆 浜田潔夫 牛山要)

原審判決の主文および事実

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、被告が昭和二十四年七月五日新潟市姥ヶ山字居村上前六百三十三番の一宅地九十六坪並に同地上の木造茅葺(一部瓦葺)家屋一棟建坪四十三坪につき為した原告の訴願棄却の裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、原告は右宅地並に家屋の所有者であつて、昭和十五年三月二十四日訴外浅井敬吾に対し、右家屋を賃料一ケ月九円、期間昭和十七年三月末日までの定めにて賃貸し、同時に右宅地の内東南隅四坪余の部分を納屋建設のため無償で貸付け右家屋の賃貸借が消滅した時は該土地の使用貸借も終了すべきことを約したのである。而して右家屋の賃貸借は期間満了と同時に二ケ年宛て順次更新されたのであるが原告は次男邦衛に独立の生計を立てさせるため同人に本件宅地並に家屋を贈与してこれに居住せしめる必要があつたので、昭和二十二年六月十七日頃訴外小林正平を介して口頭で敬吾に対し右家屋の賃貸借につき更新拒絶の通知を為し、更に昭和二十三年三月末日の期間満了後その使用の継続について同年四月上旬頃原告自ら同人に対し異議を述べたのであつて右家屋の賃貸借並に右宅地の一部についての使用貸借は昭和二十三年三月末日限り消滅したのである。ところが新潟市石山地区農地委員会は、敬吾に於て昭和二十三年一月九日同委員会に対し為した買収申請を相当と認め、昭和二十四年二月十一日本件宅地並に家屋につき自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号により買収計画を樹立して公告したので、原告は同月二十日同委員会に対し異議の申立を為したが同年三月二十五日却下せられ、更に同月三十一日被告に対し訴願を為したが、同年七月五日棄却せられて同月七日その裁決書の交付を受けたのである。併しながら(一)本件宅地の内原告が敬吾に貸付けたのは前記の通りその東南隅四坪余の部分のみであつて、そのほかの部分は当初から賃貸借又は使用貸借の目的になつて居なかつたのである。しかも右四坪余の部分の使用貸借による権利並に本件家屋の賃借権は、共に前記の通り昭和二十三年三月末日限り消滅したのである。従つて本件買収計画樹立当時敬吾は本件宅地並に家屋につき何等の権限を有して居なかつたのであるから、右敬吾の申請に基いて樹立した本件買収計画はこの点に於て違法である。(二)仮に然らずとしても、本件買収申請当時敬吾は田六反五畝二十五歩(内二反九畝二十歩は自作農創設特別措置法第三条により政府に於て買収の上昭和二十二年十二月二日敬吾に売渡されたもの)及び畑一畝十一歩を耕作していたのであるが、主として農業に従事して居たものは家族七名の内敬吾の妻と長男章次の妻二人に過ぎず、敬吾は主に自転車修繕業を営み長男章次は北越製紙株式会社新潟工場に、次男健吉は小運送業渡辺三四治方に雇はれてそれぞれ収入を得、一家の生計は主として農業以外の所得によつて立てられていたのであるから、右敬吾の買収申請は相当でなかつたに拘らずこれを相当と認めて樹立した本件買収計画はこの点に於て違法である。従つて右買収計画を支持して原告の訴願を棄却した本件裁決も違法であるからその取消を求める次第であると述べた。(立証省略)

被告指定代理人は原告の請求を棄却する判決を求め、原告主張事実中、本件宅地並に家屋が原告の所有であつて、訴外浅井敬吾が原告よりその主張の日に右家屋を賃借したこと、その後期間満了と同時に原告主張の如く契約が更新されたこと、原告主張の通り本件宅地並に家屋につき石山地区農地委員会に於て敬吾の申請に基き買収計画を樹立して公告し原告より異議の申立並に訴願をなしたが何れも排斥せられ原告主張の日に訴願棄却の裁決書が原告に交付されたこと、本件買収申請当時に於ける敬吾の耕作反別、家族数、長男章次及次男健吉の職業が原告主張の通りであつて敬吾が自転車修繕業をも営んでいたこと、敬吾が原告主張のように田の解放を受けたことはいづれも認めるが、そのほかの事実は否認する。敬吾は昭和十五年三月十四日原告から本件家屋と本件宅地九十六坪を含む新潟市姥ヶ山字居村上前六百三十三番の一宅地百六坪を併せて賃料一ケ月九円とし期間を昭和十七年三月末日までと定めて賃借したのであつて、その後右宅地並に家屋の賃貸借は期間満了と同時に二ケ年宛て順次更新されて來たのである。しかして敬吾は原告からその主張のような更新拒絶の通知を受けたことはないのであるが仮に原告からその主張のような更新拒絶の通知を受けたとしても、原告には更新拒絶を為すにつき正当の事由がなかつたのであつて仮に然らずとしても、原告は昭和二十三年三月末日の期間満了後使用の継続について遅滞なく異議を述べなかつたのである。従つて何れにしても敬吾は本件買収計画樹立当時本件宅地並に家屋につき賃借権を有して居つたのである。又仮に本件宅地を含む前記宅地百六坪が賃貸借の目的となつていなかつたとしても、右宅地百六坪は敬吾に於て昭和十五年三月二十四日原告から無償で借受けたのであつて、本件家屋の賃貸借が消滅したときは右宅地の使用貸借も当然消滅することを約したのであるが本件家屋の賃貸借は前記の通り消滅するに至らなかつたのであるから、本件買収計画樹立当時右宅地の使用貸借もなお存続していたのである。又本件買収申請当時敬吾は農業を本業とし自転車修繕業は単なる副業として為していたに過ぎないのであつて、農業による主たる所得によつて生計を営んでいたものである。従て右敬吾の申請に基いて石山地区農地委員会の樹てた本件買収計画並に被告のなした本件裁決には原告主張の如き違法はないと述べた。(立証省略)

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